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寄付のはなし

友達からフェイスブックページへのいいねのリクエストともに紹介された、お金の使い方に関するお話を読んで、なんだかスッキリしたような気がしている。
そのお話は、このブログの一番下にリンク書きました。

そのスッキリした気がするのは、何なのかは実はまだよく向き合えなそうだ。今朝はね。なので、後ほど振り返りたいと思う。

自分にどんな欲があって、行動したり書き込んだりしているのかを、私が一番私のことを理解した上でもっと正直に発信したいのだけど、認めることやそれを書くのを、誰かの意見を気にしていそうな自分のことも嫌なのだ。

見てもらいたい、こんな自分を知ってもらいたいという欲や、自撮りをする行為などに対して、昔からやってきたことなのだけど、時になんだかそんな自分が恥ずかしくもなる。構わないのに。表現欲があり、見せたい欲があり、自分だけでは済まないのだ。それは人と、コミュニケーションとる上で、自然なことでもあるきもするのに、自分はこんなにすごいんだぞアピールが強すぎる、でも対してすごくないと認めている気もして、なんだか矛盾。

さて、何が書きたかったというと、寄付のはなしだろう。

私は毎月決まった団体に一定額を寄付している。

しかし、私はこのような寄付を求めている人が世界には沢山いるのに、なぜこの団体だけに寄付しているのか、キッカケは自分で選んでいるのでわかっているのだけど、それでも他にも助けられるなら手を差し伸べたくなる人は沢山いるのにそれを選んでいるという、そんな自分の行動が傲慢であるような気もしていて、疑問を感じている。

またその理由と向き合わず、そんな状態でもひとまず寄付を続けている行為を口にすることは、批判される気がして面倒だと思ってるし、うまく答えられない自分がいやで怖かった。

寄付をして、それを人にわざわざ言う行為というのはあまり周りの人からよく思われないと私は思い込んでいるのだ。

実際、批判の声を耳にしたり言われることもある。
昨日のランチの時にも、寄付していることを人に言う時点で、自分をよく見せたいというようにしか思えないという意見を聞いたばかりだ。

私はそれを聞いて、そうだね、とも思う。
私は寄付していることを言った途端、
誰かにすごいねと言ってもらいたい欲が自分の中にないとは思えない。でも、実際はどうなのだろうか。
自分の欲をきちんと理解したい。

寄付は自分だけでするものでなく、呼びかけないと広がらないし、だから、寄付したことを人に言うことは、その寄付活動を広げるための呼びかけなのだとも思う。

自分が寄付していないのに、寄付活動をお願いする人もいるかもしれないけど、それはそれで、なんだか変な気もする。
いや、、集めるための行動、使った時間、呼びかけだって寄付に変わりないか。

自分がいくら寄付をしたのかを人に言うことは、
どんな目的だろう。
なんの報告だろう。
寄付とは気持ちなのだとも思っている故にこんな発言になるのかもしれない。

まとまらない。

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この記事を書いた人

ミュージシャン、作詞家、Webデザイナー。

長所:人見知りしないので、気になる人にはどんどん話しかけていくことができること。好奇心旺盛。人を信じやすい。

短所:興味をもったらどんどん手を広げてしまうので中途半端である。
自分に甘いこと。おせっかい。人を信じやすい。

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